ロボットや人工知能の進歩の最終的な結末ってどうなっちゃうの?

最近のロボット技術や人工知能の進歩は目覚ましく”こんなことまで出来るようになったんだ”とか“ずいぶん本物に近づいてきたな”と感心させられてしまうことも多くあります。これも人間のこの領域への情熱やたゆまぬ努力のたまものなのでしょう。実際私たちの作業や生活にすでに大きく貢献しているものもたくさんあるし、この技術なしには生活が困難になっているものもあるでしょう。
そのようななかで、ある特定の比較的単純な目的のための作業に特化したロボット技術、特にパワーや作業量といった面での有用性はもはや生身の人間ではとても太刀打ちできないし、これからもその技術に頼っていく度合は増えていきそうです。さらに最近は微小で繊細な領域へのこの技術の進出も目立ってきています。

そしてそのまた先ともいうべき思考や学習、予測さらには感情といった領域にまで進歩の波が迫ってきています。この先このままそれらの技術がさらに進歩してより高度なものになっていったらどうなるでしょう?もっと本物に近づこう、もっと本物に近づこうと研究をし続けていったらどうなるでしょうか?パワー系や作業量系のものは別にしたとして、微妙な動きや思考、創造、感情などといった生身の生き物や人間に特徴的な領域が限りなく本物に近づいていったら一体私たちはそれをどうとらえるのでしょうか?人によってとらえかたは様々あるでしょうが、そうなったら逆に本物に対するすばらしさの再認識が強まるのではないか、本物に対する愛着が強くなっていくのではないか、とも私は感じています。機械は起こさないような間違いを起こすことも生身の生き物ですし、時にとんでもない無駄なことをするのも生身の生き物だと思いますがその間違いや無駄がそれらが通常の範囲であれば愛おしく感じられたり、時には自分にとって都合の悪いことを起こしてしまったりすることもそれが過度でないのであれば、全くそういうものがなくなってしまうことから比べると、何か時には必要だったもののように感じられたりするようになるのではないかと思うことがあります。

結局これらの技術の進歩の最終的な結末は “なあんだ、こんなことだったらもっと身近の当たり前のようにあったものをより深い次元で大切にすればよかっただけじゃないか”というところにつき詰まっていくのではないかと感じています。ロボットや人工知能の研究はもしかしたら私たちがそのことを改めて深く認識し直すための壮大なプロジェクトというのが真の意義だったりするのかなあと考えたりします。ただ、それまでの間に地球の環境や生き物が生きられる条件が手遅れになるほど悪化してしまわないことを願っています。

最近のロボット技術や人工知能の進歩