生き物の世界は拡散と収斂の絶妙なコラボレーション

地球上の生き物は長い年月の間に様々に進化し多様な方向へ姿・形をはじめ機能・行動、性格・思考といったものまで実に多くのバラエティーに富んだ特徴をもったものへと広がっていきました。自然界のなかではどうもその変化の方向性や変化の仕方に人間でいうところの法的な規制のようなものはないようにも見えます。生き物たちはありとあらゆる可能性を試すことが許されていて、その変化で適応できればOK、ダメならまた別の方向で試す。時にはやっぱりまた前のやり方に戻すとか、とにかく何をやっても原則はOKでその変化の仕方を誰かに規制されてしまうことはなく、結果としてその変化の仕方が失敗に終われば生きていけなくなったり、大きな打撃を受けたりということは当然ありますが、多様性の権利のようなものは保証されていて、とにかく自由にやっていいよ、というのが大前提のように思えます。その自由度の高さがこれだけの多様性を生んできたのかなと感じています。

一方で、これだけ多様な方向に拡散したものの、ある条件や環境に共通性ができてくると、生き物の姿・形や機能・行動などが再び似たようなところへ近づいていって、似たような生き方に収斂してくるという現象も多く見られます。元々は別々の方向性へと進化し、遺伝的にも離れた関係になったのに、また似たような生き方に近づいてきたりと、このへんも生き物の柔軟性、自由さを感じます。おそらくこのような自由さ、柔軟性があったからこそ生き物はこれだけ生きられる範囲を広げ繁栄してこれたのだろうと思います。やはり自由さ、柔軟性が高いということはとてもしなやかで色々な意味で強いということなのでしょう。

このへんのことを人の心に当てはめて考えてみると、誰もが自由で柔軟な発想が許されていて、自由な感情が認められていて、様々な心の広がりができて、それでいて共通の思い、互いに深く共感できる場面では皆が同じ感覚を分かち合えること、そのようなときが人間の心としてしなやかで強い心のあり方なのかなぁ、なんて思えたりもします。